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長崎地方裁判所佐世保支部 昭和45年(ワ)21号 判決 1973年3月26日

原告 山崎眞喜

右訴訟代理人弁護士 木村憲正

被告 医療法人是心会

右代表者理事 久保謹平

<ほか三名>

右四名訴訟代理人弁護士 栗原賢太郎

主文

被告医療法人是心会、同久保謹平、同馬場三喜雄は原告に対し(被告医療法人是心会、同馬場三喜雄については第一次的請求にもとづき)各自金一〇五万円およびこれに対する昭和四五年二月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

原告の被告久保謹平に対するその余の請求、同医療法人是心会、同馬場三喜雄に対するその余の第一次請求、ならびに被告石田喜利に対する請求および同医療法人是心会、同馬場三喜雄に対する第二次請求をいずれも棄却する。訴訟費用はこれを四分しその一を原告のその余を被告医療法人是心会、同久保謹平、同馬場三喜雄の負担とする。

この判決第一項は仮りに執行できる。

事実

第一当事者の求める裁判

一  請求の趣旨(被告久保、同石田に対する請求の趣旨、ならびに同医療法人是心会、同馬場に対する第一次および第二次各請求の趣旨)

1  被告らは連帯して原告に対し金一、〇〇五万円および内金九一五万円に対する昭和四五年二月三日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  被告らの請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  被告医療法人是心会、同馬場に対する各第一次請求原因(債務不履行責任)ならびに同久保、同石田に対する各請求原因(不法行為責任)

(一) 被告医療法人是心会(以下是心会と略称する。)は医療法に基づき設立された法人で、同久保はこれの代表者理事で自らも内科医師である。同石田、同馬場はそれぞれ肩書住居地で耳鼻科、内科の各診療所を経営している開業医である。

(二) 原告は昭和四一年六月一日被告是心会理事久保に対し、同年九月一五日被告馬場に対し、それぞれ肺結核の治療を依頼し、右被告ら(又は代表者)はこれを承諾した。よって原告と右被告らとの間にはそれぞれ肺結核の治療を目的とする診療契約が成立した。

(三) 右契約の内容として、右被告らは肺結核の治療にあたって可能な限り副作用の少ない薬剤を使用すべき義務を負う。しかるに被告是心会の代表者医師久保は原告に対し、当初複合ストマイ(硫酸ストレプトマイシンとジヒドロストレプトマイシンの等量混合物)を一四グラム使用していながら同年七月二一日から聴力障害副作用の最も大きいジヒドロストマイに切り替え、同年九月一四日までこれを合計一六グラム投与し、被告馬場は原告に対し最初から同年一一月六日まで同じくジヒドロストマイを合計一六グラム投与した。

(四) 原告は昭和四二年一月一九日聴力検査を受けたところ、一、〇〇〇サイクル(毎秒、以下同じ。)の音では右耳が六〇デシベル、左耳が五〇デシベル、それ以上の高音では左右の耳とも五五デシベルの聴力損失を被り、通常の会話は全く不能となった。そして昭和四四年一一月には五〇〇、一、五〇〇、二、〇〇〇サイクルの各音における聴力損失を平均して右耳六六、左耳七六各デシベルとなり、昭和四六年九月には五〇〇ないし二、〇〇〇サイクルの音で両耳とも七〇ないし七五デシベルの聴力損失となって、さらに難聴は増悪した。

(五) 前項の原告の難聴は、被告是心会代表者医師久保と、被告馬場が原告に対し聴力障害副作用の最も大きいジヒドロストマイを投与したことに起因する。

(六) 原告は昭和三四年ころから高音域に聴力障害があり、また耳鳴も覚えていたので、被告久保に対して結核の治ゆが長引いてもいいからストマイを使用しないでくれと頼んだし、同人はストマイの聴力障害副作用のあることを知っていたのであるから、同人としては原告に対しストマイの使用を避けるべきであったのにこれを怠ったため(四)項の結果を生ぜしめた。

(七) 被告石田は同久保から依頼され、ストマイ使用による聴力障害を未然に防止する目的で行なうことを知りつつ、同年六月七日、同月二八日、七月一九日の三回原告の聴力検査をし、六月二八日、七月一九日の各検査とも聴力の低下が記録されたのであるから、右各検査の後、被告久保に対してストマイの使用を中止するように勧告すべきであったのにこれを怠ったためその後もストマイが使用され結局(四)項の結果を発生せしめた。

(八) 前記原告の受けた難聴により原告に発生した被告らに対する損害賠償請求権は次のとおりである。

(1) 精神的損害

原告は昭和一九年東京帝国大学工学部船舶工学科を卒業し、昭和二二年から訴外佐世保重工業株式会社に勤務し、昭和四一年七月同社佐世保造船所資財部次長、昭和四二年四月造船設計部次長、昭和四四年六月同次長兼所長付となって現在に至っているが、本件難聴により補聴器を使用してようやく他人の声を聞くことができるに過ぎない状態に至り、仕事面では部長、重役等への昇進の希望を閉ざされ、私生活面でも不自由をするなど多大の精神的苦痛を被り、右苦痛を慰藉するには金一、〇〇〇万円を要する。

(2) 得べかりし利益

原告の難聴の程度は後遺障害等級表の六級三号にあたり、労働能力の喪失割合は六七パーセントと評価される。原告の勤務先の停年は五八年で、原告の生年月日は大正八年一二月八日であるから昭和五二年一二月八日をもって停年退職することとなる。停年退職後六五才になるまで七年間は労働可能である。労働省の統計によると六〇才以上の者は五〇ないし五九才の者の収入の三分の二の収入を挙げることができるが、原告の昭和四六年中(五二才時)の年収は金三六〇万〇、八〇〇円であるから停年後はその三分の二より少ない金二四〇万円の年収は得るはずである。ところが本件において前記の後遺障害を受けたから年収金二四〇万円の六七パーセントを失なうこととなる。そこで右の損失額の七年間分を年五分の中間利息を控除して昭和四二年の時点における現価として計算すると少なくとも金五〇〇万円となる。

(3) 弁護士費用

原告は聴力が前記のとおりであるうえ、勤務の都合、医療事故訴訟遂行の困難性等から原告訴訟代理人に訴訟の提起遂行を依頼し、本訴提起前に着手金として金一五万円を支払い、成功報酬として勝訴額の一〇パーセントを右代理人に対し支払う約束をした。

(4) そこで原告としては被告久保、同石田に対してはその各不法行為にもとづき、被告是心会、同馬場に対しては第一次的に債務不履行にもとづき、各自連帯して右の慰藉料のうち金九〇〇万円と弁護士費用金一〇五万円の合計金一、〇〇五万円および弁護士に対する成功報酬を除いた内金九一五万円に対する被告らへの訴状送達の後である昭和四五年二月三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金の支払を求め、慰藉料が右の程度まで認められないときは、右金額に充つるまで右の得べかりし利益を補充し、弁護士費用金一〇五万円と合わせて金一、〇〇五万円と前同旨の内金九一五万円に対する遅延損害金を支払うことを求める。

2  被告是心会、同馬場に対する第二次請求原因(不法行為責任)

(一) 被告是心会、同馬場については、仮に債務不履行責任が認められないとしても、原告に対し次の不法行為責任を負う。

(1) 被告是心会はその代表者理事である医師久保がその職務を行うにつき1(六)項記載の過失を侵し、原告に損害を加えたからこれを賠償する責任がある。

(2) 被告馬場は、原告が被告是心会においてもストマイを投与されたことを知り、原告から難聴を訴えられたにもかかわらず、不注意にも1(三)項記載のとおり聴力障害副作用の最も強いジヒドロストマイを投与し、1(四)項記載の結果を生ぜしめた。

(3) よって原告は右被告らの不法行為により1(八)(1)ないし(3)項記載の各損害を被ったから原告は右被告らに対し1(八)(4)項記載の金員の連帯支払を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1(一)(二)の事実は認める。

2  請求原因1(三)のうち被告久保、同馬場の診療行為に関する事実は認めるがその余は否認する。

3  請求原因1(四)の事実は不知。

4  請求原因1(五)の事実は否認する。

5  請求原因1(六)の被告久保の過失は否認する。原告はストマイを使いたくないと言っただけである。

6  請求原因1(七)の被告石田の過失は否認する。同被告が被告久保の依頼を受けて原告主張の日聴力検査をした点は認める。

7  請求原因1(八)の事実中、原告の生年月日、経歴、訴外佐世保重工業の従業員の停年が五八年であることは認めるがその余の事実は不知。

8  請求原因2(一)(1)(2)のうち被告是心会の責任、同馬場の過失は否認する。

三  被告らの主張

1  ストマイ使用の際、副作用としては聴力障害の外に前庭機能の障害も考慮しなければならず、硫酸ストマイは前庭機能を侵す強い副作用をもっているのでジヒドロストマイに切り替え、しかもその量は一回当り通常の二分の一量にしたのであって、被告久保がジヒドロストマイに切り替え、同馬場が当初からジヒドロストマイを使用したのは適正である。

2  原告の場合のような結核の初回治療にあっては化学療法を合理的にかつ徹底的に十分な期間にわたって実施することが必要で、ストマイ、パス、ヒドラジド三者併用の期間は最低六ヶ月とされていたし、被告久保、同馬場のストマイ投与は適正である。

四  原告の右被告らの主張に対する認否。

全部否認する。

第三証拠≪省略≫

理由

一  請求原因1(一)(二)の各事実は当事者間に争いがない。請求原因1(二)の事実によれば原告と被告是心会、同馬場との間にはそれぞれ原告主張の日に原告の結核治療を目的とする準委任契約がそれぞれ成立したものというべきである。

二  被告らの原告に対する診療の経過

1  ≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。

(一)  原告は昭和四一年五月自己の勤務先における定期健康診断で胸部X線写真の結果と喀痰中に結核菌(ガフキー一号)が発見されたことにより、肺結核と診断され、同年六月一日、被告是心会にその治療を目的として入院したが、その際被告是心会の医師被告久保、医師片山らに対し、聴力に高音障害があって耳鳴もすることを訴え、ストマイは使用して貰いたくない旨告げた。そして被告是心会の医師被告久保は原告の傷病を肺結核兼肝腫兼聴神経障害と診断した。

(二)  被告是心会の医師被告久保においては同年六月四日、七月二〇日、九月七、一三日と原告の胸部をX線検査したところ、いずれも左肺上野に結核性の陰影が認められ、被告久保はこれを空洞はないが、浸潤巣と乾酪巣があり病巣の広がりは軽度であるが、まだ活発で不安定な結核であると判断した。

(三)  被告久保は原告の病状からしてストマイの使用は避けられないと考え、原告に対し同年六月四日からストマイ、パス、ヒドラジドの三者併用療法を採用し、同年七月一八日まで複合ストマイを、同月二一日から同年九月一二日までジヒドロストマイをそれぞれ週二回、一回一グラムずつ、あるいは週四回、一回〇・五グラムずつの割合で投与した(なおその合計量が複合ストマイ一四グラム、ジヒドロストマイ一六グラムであることは当事者間に争いがない。)。また一方では原告の聴力保護のため原告に対し、コンドロン、ドセラン、ビタメジン等の薬剤を規定量投与した。

2  被告石田が同久保の依頼を受けて同年六月七日、同月二八日、七月一九日原告の聴力検査をしたことは当事者間に争いがなく≪証拠省略≫によれば次の事実が認められ、右認定に反する証拠はない。

被告石田は診断の結果原告に対し両内耳性難聴を認め、こ膜には異状を認めなかった。右六月七日の検査では低音(一二五サイクル音ないし二、〇〇〇サイクル音)で右耳一五、左耳約一九各デシベル、高音(三、〇〇〇サイクル音ないし一〇、〇〇〇サイクル音)で右耳約四九、左耳約七一各デシベル、六月二八日の検査では低音で右耳一〇、左耳二〇各デシベル、高音で右耳約五二、左耳約七二各デシベル、七月一九日の検査では低音で右耳約二九(≪証拠省略≫では二八デシベルであるが右は小数点以下の端数を切り捨てたものと考えられる。)、左耳約一九各デシベル、高音で右耳約五六、左耳約七六各デシベルの聴力損失があった。また被告石田のした同年一〇月五日の検査では低音で右耳二〇、左耳一〇各デシベル、高音で右耳約五六、左耳約六九各デシベルの聴力損失があった(なお右の各数値は低音では五〇〇、二、〇〇〇各サイクル音における損失値、一、〇〇〇サイクル音における損失値の二倍の数値の和を四で除したもの、高音では四、〇〇〇、八、〇〇〇各サイクル音における損失値、六、〇〇〇サイクル音における損失値の二倍の数値の和を四で除したものである。)。同被告は、被告久保に対しては六月七日の検査の後高音障害があるので難聴予防のためコンドロンの投薬をすすめ、自らは原告に対し同じく難聴の予防、治療の目的でアリナミンを一日一五〇ミリグラム四六日分投与した。その後の検査についても被告久保に対し、聴力に注目すべき変化なしと告げ、ストマイ投与中止の勧告はしなかった。被告石田は同馬場に対し、一〇月五日の検査後、聴力に大した変化はないからコンドロンとアリナミンの投与をすればいいだろうと連絡した。

3  ≪証拠省略≫によれば次の事実が認められ右認定を覆すに足りる証拠はない。

原告は同年九月一五日被告久保の紹介状を持って同馬場の診療所を訪ね、同馬場の診療(通院)を受け始め、同人は原告に対し、同久保と同じくストマイ、パス、ヒドラジドの三者併用の治療方法を施し、ストマイはジヒドロストマイを一回一グラムもしくは〇・五グラム、週に二グラム投与した(右投与したジヒドロストマイの合計が一六グラムに達することは当事者間に争いがない。)。被告馬場も同久保および原告から原告に高音障害のあることを聞いていたので、聴力保護の目的で活性ビタミン剤やコンドロンを投与し、ストマイの投与は同年一一月一〇日ころ原告の難聴をおそれ、また結核の病状も好転しつつあったので中止し、その後はパスとヒドラジドの二者併用を施した。原告は昭和四二年五月初旬以降X線検査の結果も好転したので、原告の勤務先の診療所における診療に切り替え、全快して復職した。

三  原告の難聴の程度

1  ≪証拠省略≫によれば被告是心会に入院前の原告の聴力は会話音域においてはほぼ正常であったが、一、五〇〇サイクル音以上の高音域においては昭和三五年ころから聴力障害があって時計を耳にあてても秒針の音が聞こえず耳鳴もしていた事実を認めることができ右認定に反する証拠はない。

2  原告がストマイを服用していた時期の聴力は前記のとおりである。

3  ≪証拠省略≫によれば原告の聴力は昭和四二年一月に至って会話音域においても低下し、集会など人の大勢集まった場所における人声が聞きとりにくくなり、同月一九日被告石田の検査では低音において右耳五六、左耳約四九各デシベルの聴力損失があり(前記の計算法による。)昭和四四年一一月には両耳の聴力が耳殻に接しなければ大声を解することができないという感音性難聴で長崎県知事から労働基準法施行規則別表第二の身体障害等級表の六級三号該当の身体障害者に認定され、昭和四六年九月二八日鑑定人広戸の検査時にはさらに難聴は増悪し二五〇サイクル音以上ではほぼ七〇デシベル前後の聴力を損失した事実を認めることができ右認定に反する証拠はない。

四  被告是心会、同馬場に債務不履行があるか。

1  医師が患者との間に肺結核等の治療を目的とする準委任契約を結び患者に対し抗生物質を投与しなければならないときは、その患者の病状に照らして最も効果のある抗生物質を用いるべきであると同時に可能な限り副作用の少ないものを選択すべき債務があると解すべきである。

2  被告是心会の医師被告久保は原告の胸部をX線で撮影し、同人の左肺上野に結核性の陰影を認め、空洞はないが浸潤巣と乾酪巣があり、まだ活発で不安定な結核であると診断したが、右診断は鑑定人吉田猛朗の鑑定の結果によっても支持されており、原告の勤務先の診療所においては原告の喀痰中に排菌を認めていてこれが誤診であると認めるに足りる証拠はなく、また≪証拠省略≫によれば右の原告の左肺上野における結核性の陰影は被告久保、同馬場の治療行為の結果次第に収縮し、安定して行った事実が認められるから、以上の事実を総合すると被告久保の診断に誤まりはなかったと考えられる。

3  ≪証拠省略≫によれば結核の治療基準は厚生省の告示、結核医療の基準、もしくは同省保健局長の都道府県知事あて通知、結核の治療指針により定められており、結核の治療は他の病気の治療に比較してある程度規格的、類型的な面があること化学療法においては耐性菌の存在などのため初回治療と再治療とでは治療効果に著しい差があり、化学療法から期待できる最大の効果を初回治療の段階で達成するように努めるべく、初回化学療法を合理的にかつ徹底的に十分な期間(おおむね一年ないし一年半)にわたって実施することが必要とされ、右化学療法において使用される抗結核剤はストマイ、パス、ヒドラジドの三者を併用し、ストマイは週二回二グラム投与するのが原則であり、例外的に、ストマイ耐性菌であることが証明されるか、空洞を伴わない浸潤巣又は被包乾酪巣を主病巣とする場合で排菌がなく、病巣の広がりが軽度のときにパス、ヒドラジドの二者併用を行なうこともできるとされる事実を認めることができ、他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

4  原告の病状は浸潤巣と乾酪巣はあるが空洞はなく病巣の広がりも軽度であったが、前記のとおり排菌があり、右結核菌がストマイに対して耐性であるか否かは証明されていないので右の基準からいって、被告久保が当初ストマイを投与したこと自体はやむを得なかったと考えられる。そして複合ストマイを選択したことも、硫酸ストマイの前庭障害副作用、ジヒドロストマイの聴力障害副作用をともに緩和しようとするものであるから特に非難はできない。それに被告久保は一方において原告の聴力検査を行ない。さらに聴力保護のため活性ビタミン剤等の投与も続けているのだからストマイによる聴力障害副作用の防止についても一応の注意を払ったというべきである。

5  ≪証拠省略≫によれば、ストマイは一般に聴器に対して特有の副作用を有しているが、当初発見されたのは硫酸ストマイであって、これは副作用として聴力障害も起すが、主としてめまいや平衡失調のような前庭障害を起し、これを軽減する目的で作られたジヒドロストマイは代わりに主として蝸牛障害即ち難聴を起し、複合ストマイは双方の副作用を緩和する意味で用いられていること、両ストマイの聴力障害に対する副作用の差は調査例によって様々であるが、多くは相当程度の差を認め、ジヒドロストマイのみの使用で八九例中七九例約八八パーセントに他覚的判定による聴力障害を認めた例すらあるが、複合ストマイの使用では一四三例中四五例約三一・五パーセントに他覚的聴力障害を認めた例が最高であり、硫酸ストマイの使用ではさらに聴力障害の発現率は低くなること、結核治療上の効果は右三種のストマイともほとんど同じであること、以上の事実を認めることができ他に右認定を覆すに足りる証拠はない。

6  被告是心会、同馬場の主張1について。

前記認定のとおり原告は被告是心会に入院する以前から高音障害があって、耳鳴もする状態であったし、被告久保、同馬場に対してもストマイ投与による聴力低下の不安を訴えていた。他方原告にストマイ投与後めまいがするなどの平衡機能の障害が現れ、もしくは現れることを予想させる事態が生じたとの事実を認めるに足りる証拠はなく、現に原告に対し当初投与されたのは複合ストマイの一四グラムであって平衡機能障害の副作用を特に警戒しなければならない硫酸ストマイはそのうちの七グラムに過ぎなかったのに、被告是心会の医師被告久保においてジヒドロストマイに切り替え同馬場において当初からジヒドロストマイを使用し、それぞれ一六グラムずつ投与したことに合理的理由はなく右主張は採用できない。

7  以上を総合すれば、被告是心会の医師被告久保、被告馬場において、原告に対し、聴力障害の副作用がもっとも強いジヒドロストマイをそれぞれ一六グラムずつ投与した行為は、できる限り副作用の少ない抗生物質を選択すべき債務を完全に履行しなかったものというべきである。

五  被告久保に過失があるか。

前記三において認定したとおり被告久保が昭和四一年七月二一日からジヒドロストマイに切り替えこれを一六グラム投与したのに合理的理由はなく右は原告の難聴を防止するための注意を欠いたもので過失というべきである。

六  被告石田に過失があるか。

≪証拠省略≫によれば、どの程度の聴力低下が認められた場合にストマイ投与の中止を考慮すべきかは結核の病状とにらみ合わせて決すべき問題であり耳科医の見解にも種々あって定説はなく、右鑑定人は三、〇〇〇サイクル音で三〇デシベル以上聴力が障害された段階で病状とにらみ合わせてストマイ投与を中止するか否かを検討するのが適当と考えており、被告石田は平均聴力が二〇デシベル低下した場合にストマイの使用を一応検討したいと考えている事実が認められ、そして被告石田が行なった六月七日、二八日、七月一九日、一〇月五日の各検査の結果は前記のとおりであって、同被告の基準以内の変化しか認められず、一〇月五日の検査ではかえって聴力は上昇しており、右鑑定の結果においても、原告の聴力は右四回の検査において、略同じか、一〇月五日の検査では会話音域の聴力上昇が記録されていると判断されている事実を認めることができる。そうすると被告石田が耳科医として原告の聴力にストマイの副作用が現れているのにこれを見落して、被告久保、同馬場に対しストマイの使用中止を勧告しなかった過失があるとはいえない。また耳科医が内科医の依頼を受けて聴力検査をする場合、結核患者に対しストマイを使用すべきか否かを決定するのは内科医であるから、聴力検査の結果を内科医に報告し、耳科医としての意見を述べることができるとしても、ストマイ投与の中止を勧告しなかったことが直ちに患者に対する関係で不法行為になるとも考えられない。

七  被告是心会、同馬場の債務不履行、同久保の過失と原告の難聴との因果関係

1  前記各鑑定の結果によればストマイによる難聴の特徴は、(1)難聴が両側性に起りやすいこと(2)最初は八、〇〇〇サイクル以上の高音部に局部的な聴力低下が起り、次第に低音部へ移行すること(3)ストマイ投与中止後半年稀には一年後に晩発性難聴を来したり、既存の難聴が増悪したりすること(4)障害は内耳性であること等である事実が認められる。そして鑑定人広戸の鑑定の結果に前記認定の諸事実を総合すれば原告の難聴は右被告らがストマイを投与する以前から高音部に存在していた点を除くと、右の各特徴を備えている事実を認めることができるから、原告の難聴はストマイの投与に起因していると考えられる。

2  ところで本件における原告に対するストマイの投与は右被告らによってなされたものであるが、当初被告是心会において原告に対し複合ストマイを週二回、一四グラム投与した行為は、前記認定のとおり原告の結核治療上やむを得なかったものと言わざるを得ず、後にジヒドロストマイを週に二グラムずつ合計一六グラム投与した行為が被告是心会の債務不履行および同久保の過失であり、また同馬場も右ジヒドロストマイを週に二グラムずつ合計一六グラム投与した行為が同被告の債務不履行なのである。そして、原告の本件難聴は、右被告らのストマイ投与以前の高音障害を除いて右被告らの一連のストマイ投与全体によって生じたものであって、被告久保即ち同是心会の複合ストマイの投与のみで生じたとも、被告久保の過失(これは同時に被告是心会の債務不履行である。)のみで生じたとも、被告馬場の債務不履行のみで生じたとも断定できない。

しかし、ジヒドロストマイは硫酸ストマイ、複合ストマイに比較して聴力障害の副作用が一層大であるから、右被告らが複合ストマイの投与を継続するか、むしろ硫酸ストマイに切り替えるかしたならば、原告の聴力障害がある程度は避けられなかったとしても、本件の程度までは聴力が低下しなかったであろうと推認できる。そして右のある程度避けられなかっただろうと考えられる聴力障害は、現在の医学水準においては、結核の治療に必然的に伴なう副作用として原告としてもその結果を結核治療の代償として甘受しなければならない。

3  ところで民法七一九条に規定する共同不法行為においては各人の行為のみによって結果が発生しない場合においても他の行為と合して結果が発生し、かつ当該行為がなければ結果が発生しなかったであろうという関係があれば各人の行為と結果との間に因果関係があると解すべきで、しかも共同不法行為の被害者において、加害者側の行為に客観的な関連共同性があり、右共同行為によって結果が発生したことを立証すれば、右の加害者各人の行為と結果との間の因果関係が法律上推定され、加害者において各人の行為と結果の発生との間に因果関係が存在しないことを立証しない限り責を免れないと解する。

これを本件についてみるに、被告久保と同馬場の原告に対するジヒドロストマイの投与は時間は前後するが、引き続いて接着して行なわれ、しかも被告馬場は同久保の依頼を受けて原告に対する診療を始め、ともに結核の治療を目的としてジヒドロストマイをそれぞれ同量ずつ投与しているから、これらの事情によれば右両被告の各行為の間には客観的な関連共同性があるものと考えられ、右共同行為によって原告の聴力が本件の程度まで低下したことは前記のとおりであり、他方右被告らにおいて各人の行為と結果の発生との間に因果関係が存しないことを立証していないのである。

4  よって被告是心会、同馬場の債務不履行、同久保の過失と原告の難聴が本件の程度にまで低下したこととの間には因果関係があるというべきである。

八  そこで本件において、被告是心会、同馬場は債務の不完全履行として契約上の、同久保は過失として不法行為上の各責任ではあるが、共同不法行為の規定を類推適用して右三被告は各自原告に対し損害賠償の責任を負わなければならない。

九  損害

1  精神的損害

(一)  請求原因8(一)中の原告の経歴は当事者間に争いがない。

(二)  ≪証拠省略≫によれば、原告は現在補聴器を使用しなければ日常の会話もできず、会社においても会議にはほとんど出席できないし、その職務は専ら学究的なものに限定され、将来部長、重役と昇進する希望はその能力にもかかわらずほぼ断たれているうえ、難聴のため身体障害者として認定されているが、他方肺結核は全快し元気に就業している事実を認めることができ右認定に反する証拠はなく、さらに前記のとおり原告の難聴はすべて被告久保、同馬場がジヒドロストマイを使用したことのみによって生じたものと断定できず、むしろ肺結核の正当な治療行為によってもある程度は避けられなかったと言うべきであるから、本件の被告是心会、同馬場の債務不履行、同久保の過失によって発生した原告の聴力障害に対して、その精神的苦痛を慰藉するには金九〇万円をもって相当とする。

2  財産的損害

(一)  現在原告は労働基準法施行規則別表第二、身体障害等級表の六級三号に認定され、右等級に該当する者が労働省の通達による労働能力喪失率表では六七パーセントの労働能力を喪失したものとされていることは当裁判所に顕著な事実である。しかし右の喪失率表は主として肉体労働について一般抽象的な能力喪失の程度を数化したに過ぎないと考えられるから、個々具体的な事情、特に当該労働者の職務の性質などを考慮してその適用を考慮しなければならない。

これを本件についてみるに、≪証拠省略≫によれば原告は現在コンピューターによる工程管理の仕事を担当し、補聴器を使えば一対一の会話は一応行なうことができ、集会においても話の内容を聞きとるのが全く不可能というわけでもない事実を認めることができ、これと前記争いのない原告の経歴を総合して考えると、原告は造船設計もしくはコンピューターに関し豊富な経験と高度の知識、技術を有しているものと推認でき、原告は満五八才(現在五四才)の停年後においても、労働の意思さえあれば、自らの経験、知識を利用して十分な収入を挙げうるものと期待でき、他に停年後の収入が原告主張のように減少することを認め得る証拠もないから、前記認定の慰藉料の外に労働能力喪失による損害を認めることはできない。

(二)  本件の訴訟遂行の困難さ、原告の聴力障害の程度等を考慮すると原告が本件訴の提起遂行を弁護士に依頼したのはやむを得なかったものと認められ、≪証拠省略≫によれば原告は本件訴を提起するに際し、原告訴訟代理人に対し、金一五万円を支払い、勝訴額の一〇パーセントを別に成功報酬として支払う約束をした事実を認めることができ、前記原告の請求の認容額、本件訴訟遂行の難易その他諸般の事情を考慮すれば弁護士費用の内金一五万円(着手金として支払ずみのもの)は本件被告らの債務不履行ないし不法行為と相当因果関係に立つ損害というべきである。

一〇  なお原告は第二次的に被告是心会、同馬場に対し不法行為に基づく請求をし、右請求は第一次請求の認容を解除条件とする予備的請求と解され、被告是心会の医師被告久保、被告馬場の診療行為に過失のあったことは前判示のとおりであるが、原告の損害額については第一次請求において認容した額を越える額はこれを認めるに足りないことも前判示のとおりであるから、第二次請求(第一次請求で認容した請求を除いた請求部分)は失当として棄却を免れない。

一一  結論

よって被告是心会、同馬場はその各債務不履行にもとづき同久保は不法行為にもとづき原告に対し各自右に認定した原告の損害計金一〇五万円とこれに対する原告の求める訴状送達の日の後の日であること記録上明らかな昭和四五年二月三日から支払ずみまで民法所定年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の被告久保に対する請求、同是心会、同馬場に対する第一次請求は右の範囲で理由があるからこれを認容し、右被告久保に対するその余の請求、被告是心会、同馬場に対するその余の各第一次請求、および各第二次請求ならびに被告石田に対する請求はいずれも失当であるからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項を、原告勝訴部分についての仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大久保敏雄 裁判官 菅原敏彦 前原捷一郎)

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